カウンセリングのビタミンC

生きると言う格闘技に一休みを。

ホドちゃん、逝く。合掌。

 我が家のアイドルだった、ジャンガリアンハムスターのホドちゃんが1月末、天に召されました。2歳1か月、我が家に来て1年と10カ月でした。しばらく悲しみの中に居て、1日に何度もホドちゃんの亡骸を見ては、頭をなでていました。本当に悲しく残念です。

 その日の午後2時頃、ハウスから出て来たホドちゃんの足元がよたよたしているのに子どもが気付きました。手に取り流動食を与えると食べ、少し私の掌でじっとしていたのですが、何か落ち着かない様子だったのでケージに戻してあげると、いつもおしっこをする隅っこの場所にちょこんと丸まってじっとしていました。30分置きに様子を見ていました。わずかに体が呼吸で動いているのが確認できていましたが、午後5時過ぎ動きが無いようだったのでそっと手に取ると、すでに亡くなっていました。まるで眠っているようでした。

 この2年近く私の心の支えとして、愛くるしい姿を見せていてくれたホドちゃんに本当に感謝です。可愛い綺麗な箱に床材を入れ、布にくるみ、大好きだったひまわりとかぼちゃの種、お線香を入れて家族で見守る中箱にリボンを付けて市のペット焼却にお願いしました。市のペット焼却はすなわち燃えるごみと同じ扱いになるそうです。子どもは、「えっ、ごみ?」と言いましたが、今は冬で家の庭を掘るのが難しく、ペット霊園に持って行っての供養も考えましたが、飼い主として最低限の義務としての、亡骸をきちんと自治体の中で認められている範囲で処理してあげるを果たした結果でした。

 今映画で「大怪獣のあとしまつ」が上映されていますが、正しくペットを飼う事の喜び、悲しみ、そして感謝と最後の後始末が飼い主の義務であると思っています。

 結婚前実家では犬と猫数匹を飼っていました。私が幼い頃は猫は無くなると段ボールに煮干しなどのエサと花と亡骸を入れ、家族みんなで川に流して手を合わせました。その後、川に流すのは環境衛生上良くない風潮になったので、夏場は自宅の庭に埋めたり、土を掘るのが大変な時期はペット霊園に持って行き焼却してもらい、骨を自宅の庭に巻くなどしていました。ペット霊園を利用する切っ掛けになったのは、19年飼っていた犬が中型犬で割と大きかったので埋めるのも大変だとなり、かと言ってゴミに出すのも忍びなくペット霊園にお願いしたのが始まりでした。

 飼い主さんの中には、お墓を建てたりペット霊園の中に納骨堂を持つ方もいます。それ程ペットは家族と同じだと言う事です。

 命を扱う事の責任。ゴミとして出す事への抵抗感も含め、飼い主としての最後の役割である亡骸の処分。それを子どもに示した出来事でした。