カウンセリングのビタミンC

生きると言う格闘技に一休みを。

変わらない本質。

お題「#この1年の変化

 

 今年の1月で癌治療からまる2年が経過した。いわゆる5年生存を目指す身としては、後半戦に差し掛かる年の幕開けだった。去年新型コロナウイルスの流行で、自分たちは癌治療の最中から外れている事を感謝したし、まさにこのコロナ禍で癌治療を行っている人たちにの心中は察するものがあった。

 そして、半年に1度のCT検査で、新たな腫瘍が腎臓に見つかった。腎臓の腫瘍の場合、画像診断が主で、細胞検査は行われない。腎臓の腫瘍の場合、9割がた悪性なので、まずは手術で摘出するのが常套手段の様だ。

 また、入院そして手術。同時期に抗癌剤で入院していた癌仲間も、先日腫瘍マーカーで異常値が出て結果を聞くのが怖いと言っていた。5年何事もなく過ごす事の難しさを痛感した。

 

 昨年末からパートに行き始めた。1日6時間の事務職。働く事で生活リズムが出来、人と接する事の有効性も感じていたが、やはり働く事にはストレスが付いてくる。

 月に10万円程度のパート代も、全て病院代に消える。入院となれば収入も減る。今更ながら、正職員だった頃の恵まれていた状況をしみじみと感じる。まさに収入も途絶え、先の見えない飲食店さんたちの苦しみと自分の状況を重ね合わせてしまう。

 

 

  我が家のハムスターは、生物学的な寿命ではあと1年くらいだろう。ハムスターとの別れを想像するだけで涙が出るが、自分の身にも同じような日がそう遠くないかも知れないと思うと、何をすべきか途方に暮れる。

 

 最初の癌宣告の時は、身辺整理に一生懸命だった。保険や預金の金額、通帳の場所など私しか知らない事を夫に明確にしておかなければ、と思ったし、写真や思い出の品なども随分と捨てた。残された者が、処分に困らないよう、生きているうちにしておかなければと、終活をしたが、そのうち経過が順調に過ぎて行く中、もしかしたらもうこのまま癌から逃げ切れるかも、と思うようになり、また前の様なぐうたらな生活に戻っていたが、再び終活を考えるようになった。

 子どもが来年進学を考えているが、コロナで大学生活がどうなるのか、私の体はもつのか、など新たな問題点が出て来た。勿論経済面も大きい。

 

 喉元過ぎれば熱さを忘れる。まさに人間の愚弄さを痛感する。

 

 ただ、主婦の習性なのか、1年のうち360日くらいは、結局今日の晩御飯を考えている。変化で言えば、人間の本質はそうそう変わらない事に気付いた事かも知れない。